インフルエンザ
インフルエンザ
非常に幸運なことに、今年は今までのところ我が家の誰もインフルエンザにはかからずにすみました。
先日「新型インフルエンザ脳症か?」というようなニュースがありましたが、これ怖いですね。これまでのインフルエンザ脳症の特徴だったけいれん、意識障害などなしにいきなり死んじゃうらしい。
非常に幸運なことに、今年は今までのところ我が家の誰もインフルエンザにはかからずにすみました。
先日「新型インフルエンザ脳症か?」というようなニュースがありましたが、これ怖いですね。これまでのインフルエンザ脳症の特徴だったけいれん、意識障害などなしにいきなり死んじゃうらしい。
言わずと知れた、ドストエフスキー著の世界的名作です。「罪と罰」なんてインパクトのあるタイトル、自らの思想の実現し社会へ益を還元するための障害となっているのであれば、しらみのごとき凡人を殺すことなど大した罪ではない…という理由で高利貸しの老婆を殺してしまう主人公1、というような、外側から受けるこの作品に対する印象から、難しくて重たい話なのかと思っていたんですけれど、さにあらず。実はものすごく面白いお話!(重たい話には違いありません)。「面白い」の意味も、もう単純にサスペンス小説的に、恋愛小説的に、心の救済物語的に、面白いのです。これはちょっと意外だったなぁ。さすが、長く世界で読まれ続けているだけある。納得です。
上記のような思想で殺人を犯した主人公ラスコーリニコフの「罪と罰」を描くことで「理性による社会改革」の限界を示し、友人ラズミーヒン、主人公の妹ドゥーニャ、途中からとても大きな存在となる薄幸の娼婦ソーニャなどによる「人間の復興」による救済を描く…というのがメインテーマといえましょうか (あとがきからの受け売り・笑)。ラスコーリニコフの思想にはいかにも若さ故の鋭さ、熱さがある反面、驚くほど深みがなくて2、たぶん彼自身皮膚感覚では「何か違う」ことは分かっていたはずなのに、変なところへ潜り込んでしまった自らの思想に自家中毒を起こしてしまっているような状態で、でも特に若い頃はこういうこと比較的よくあるよなぁ、と思ったりしました。ラスコーリニコフは最後の最後まで結構どーしよーもない奴なんですけど(笑、友人のラズミーヒンやドゥーニャ、ソーニャがすごくいい人たちなんですよね。特にソーニャ。これほど魅力的なキャラクターはなかなかいません。
それらの人々に対し、ドゥーニャの婚約者、ピョートル・ペトローヴィチ (ルージン) は心底やな奴かも(笑。ただそれ相応の報いを受けるし物語の後半では全く出番がなくなっているので、そういう意味ではスッキリできます(笑。同じくとんでもない好色家でニヒリスト (らしい) 、スヴィドリガイロフもドゥーニャにあんなことしようとしたりして結構ヤな奴と言われてるみたいなんだけど、僕はルージンと比べるともう少し複雑な人なように思った。僕に言わせれば、ルージン最悪(笑。
そういや以前アンナ・カレーニナを読んだ時にも思ったんですが、ロシアの人って名前がころころ変わって大変。ラスコーリニコフとかロジオン・ロマーヌイチとかロージャとか、ソーニャとかソーネチカとかソーフィアとか…。あと、ロシアのやんごとなき人々は会話の中でさりげなくフランス語を混ぜるのがたしなみだったりするんでしょうか?
アンナの夫、カレーニンは指をぽきぽき鳴らす癖があって、アンナがそれを「下品で我慢ならない」というシーンがあるのですよね。実は僕も指を鳴らす癖があるのですが、そうか、下品な癖だったのか…と最近少し反省。
僕が Palm を使っていたのはもうずいぶん前、確か上司のおさがりの US Robotics のロゴの付いた Palm Pilot Professional を使っていたのだから、1996 年とか 1997 年ころだろうか。あの当時はまだ正式な日本語版というものがなくて、フリーツールをいろいろ入れて使っていた。途中から POBox が使えるようになってずいぶん使いやすくなったっけ。
そんな時代でも Palm の完成度はとても高くて、これ以上何が必要なんだろう?と思うくらいだった。その後、Palm は迷走したように思う。中には「Sony に壊された」という人もいるけど、確かに Sony の Palm、CLIE の目指した方向性が Palm の方向性として正しかったか、と言われると、僕は微妙だと思っている。CLIE は高精細ディスプレイを搭載したり、いろいろなペリフェラルを搭載したりと、いわゆるコンピュータ的多機能さを求める方向に進化したけど、結果的にそれが Palm の良さをスポイルしてしまったのではなかろうか。
僕が使った最初期の Palm でもあれだけの完成度を持っていたのだから、あえてコンピュータ的な部分は進化させずに、モノとしてのクオリティアップを図る、という方向性もあり得たのではないか。チープなプラスチック製ボディではなく、メタルを使ってみるとか。革張りとか3。システム手帳には無意味に高級なモノがあったりするように、Palm も「PDA の定番」としてモノとしてのグレードにバリエーションを作っていくという形での進化する道はなかったのか。タッチパネル、Graffiti といった、携帯にはない使いやすいインターフェイスを持った素敵なデバイスが、このままなくなってしまうのは実に惜しいと思うのだ。
ちょっと前まで、鳥乃は思いっきり反抗期でした。何を言っても第一声は必ず「やだ」。手に負えないとはこのこと…という感じで特にあゆみさんはスゲー苦労していましたね。
それがここのところピタリと収まって、毎日とってもご機嫌さんです。そのすごい落差にはびっくりするやら、ほっとするやら。先日も、僕らが何も言わないのに突然黙々と一人で部屋の掃除を始め (まだ3歳だというのに!)、気が付くとすっかり綺麗、なんてこともありました。すごいぞ、鳥乃!
「ほしのこえ」の新海誠さんの劇場用長編アニメーション。「ほしのこえ」は 24 分と短いアニメーションでしたが、こちらは 90 分以上あるいわゆるふつうの劇場用アニメです。個人的には思いのほか SF 成分が多くて驚いた。考えてみれば「ほしのこえ」も SF だったわけで (テーマは恋愛だけど)、新海さんは結構ほんとに SF 好きなんですね。
SF とはいえ、今回もやっぱり男の子と女の子がテーマのお話です。話のテーマとしては「ほしのこえ」とほぼ同じ、と言ってもいいかもしれない。監督の意向としては、今回は「物語の明確な出口を作りたかった1」そうで、そういう意味ではかなりはっきりとした結論が用意されています。そういう今作を良いと見るか、前作の方が余韻があって良いと見るかは人それぞれかも。
こんなことを言うと監督には失礼に当たると思うのですけれど、想像以上にちゃんとした映画だったので、僕の中での位置づけも「ほしのこえ」のそれとは少し違う感じがしています。新海さんの魅力とも言える、ノスタルジックなモノローグとか2、とてもきれいな色づかいの風景シーン、なんかは健在で、90 分のかなりの部分がそういったカットでしめられているわけですけれども、僕は微妙に全体が長過ぎるように感じました。あのくらいゆったりした空気感を監督が望んだ、と言われればそうなのかもしれないけど、特に中学時代のカットはもう少し全体に絞り込んだ方がより印象深くなったような気がする。
あと、「ほしのこえ」のタルシアンのデザインにも感じましたが、各所に「エヴァ」の影響が色濃く出ています。「エヴァ」はそれだけ後世のクリエイターに影響を与えうる作品だった、それだけエポックメイキングな作品だった、ということなのかもしれないけど、僕の中ではまだそこまで咀嚼されきってはいないんじゃないかと思っていて、作中そこここに感じられるある種無邪気なリスペクトに対して、微妙に居心地の悪さを感じてしまったりしました。
なんだかこれだけ読むと辛口コメント、って感じるかもしれないけど、僕はとっても楽しめましたよ。新海さんのいいところは、「ほしのこえ」以上に洗練されて、よりクオリティアップして盛り込まれていると思ったし3、ちゃんとした長編アニメーションとしてストーリーも考えられている (ちと小粒感があるのは否めないけど)。次の作品が楽しみです。
なんだか最近は本や映画のことばっかりで、「コンテンツ消費日記」と化しているなぁと反省して、家でのことを少し書いてみます。
こないだの土曜日はあゆみさんの誕生日でした。でも、あんまり誕生日らしいことはしてあげられなかったなぁ。いつも通りのお片づけとお掃除に明け暮れる土曜日だったような。
そういや有葉が「また見たい!」というので「サウンド・オブ・ミュージック」をまた見たのだった。子供が見ている横で大人は部屋の片づけをしようと思ってたのに、気が付くと大人もまた見てしまい。いつ見ても、何度見ても感動する本当に素晴らしい映画ですね。
掃除をする時はいつも、テンションをあげるためにふしぎなタンバリン…じゃなくて音楽をかけるようにしているのですが、先週は金曜の夜に TV でやっていたので録画した「プレイバック!全米ヒットチャート No.1」をかけながらお掃除。懐かしい曲がいっぱいだよ。「うぃあーざわーるど」もかかってたけど、それにしてもスゴイ顔ぶれだねぇ…。
週末恒例のことといえば、上履き洗い(笑)とヴァイオリンの練習。有葉とは、「3年生になったら自分で洗うこと」と約束してるんだけど、どうなることやら。ヴァイオリンは有葉の練習につきあってお父さんも練習してるんだけど、ここのところずっとめちゃくちゃ基本的な練習を有葉と一緒にしているしているせいで、お父さんもなんだかまた少しうまくなったような気がするよ(笑。G 線は右手が疲れるんだよねぇ。
この週末はずっと天気が悪かったこともあって、それ以外ののんびりタイムはもっぱら家族でドラクエ三昧。総プレイ時間もとうとう 50 時間を超えて、お話もそろそろ佳境って感じなんだけど、いろいろ脇道に逸れてしまってなかなか進まないのであった。
そういや、デカレンジャーが終わって新しく始まったマジレンジャー、今度は兄弟5人が主人公。今時5人兄弟とは実に子だくさんでよろしい(笑。「魔法」のモチーフがもろハリポタっぽくて、そう考えると去年とかその前とか、もっとハリポタがブームになっている時ならば良かったのにね、という話をあゆみさんとしていたりしました。今お父さんと子供たちは仮面ライダー響鬼に夢中ですよ!ひびきさんの「よっ!」という手の動きをまねしたりして。
浦沢直樹さんのサイコ・スリラー漫画。妹のところから全18巻をまとめて借りて大人読み。いやークタビレタ。
序盤をリアルタイムで読んでいた時は「なんだか『逃亡者』みたいな話だなぁ」と思っていたんですが、今回全体を通して読むとそれほど似てませんでしたね。「旧共産圏の隠された陰謀の結果生み出された恐るべき子ども達が…うんぬん」というお話は結構よく見るような気もするけど、具体的な作品名は出てこないなぁ。「旧共産圏」じゃなくて「マッドサイエンティスト」だったり「悪の独占企業」だったりするのかな。
確かに面白かったけど、僕はクタビレタのでもういいや、という感じ。そういや深夜にやっているアニメ版はまだ続いていたのですね。こないだ偶然見かけた時はマウラーさんが出ていたので、そろそろ終盤なのかな?
僕はどうも本や漫画を読む際に、あまり「読解」というプロセスを行っていないようです。もちろん話の内容やプロットは自分では理解しつつ読んでいるつもりではあるのですけれども、その詳細を改めて自分の中で構築できるほど解しながら読んでいるか?と言われると、確実に No です。
ここに書き散らしている本や漫画の感想からして、「面白かった」「心動かされた」「じーんとした」と、最近は小学生だってもっとましな感想文書くヨ!ってなものなので周知の事実だったとは思うのですけれども(笑、どうも昔から僕は、「読解しながら本を読む」ということをしてなかったらしい。
それじゃ、国語の読解テストなんかはどーしていたのよ?!、といえば、文章を読むことで作中に現れるキャラクターの感覚はなんとなしに再現されるのですね。それを感じることで答えを出していたような気がします。今の本の読み方も全く一緒で、頭でいろいろ考えることはあんまりなくて、目では文字を追いつつ感覚的にキャラクターに移入することで解する…という、どうも僕は非常に独善的な本読みなようです。
というようなことを、「夕凪の街 桜の国」に対する各所のすばらしい読解、評論を読みながら思ったのでした。
追記。ちょっと前にほとんど同じようなことを書いてましたね…orz。
普段使っている Debian sarge にもようやく 1.0 がやってきました。以前問題にしていたメール送信時のメモリ異常使用も解消されていて快適に。
そういや Thunderbird 用の gpg プラグイン、enigmail にいつの間にか鍵管理のインターフェイスが付いていたのですね。とっても使いやすいです。感謝感謝。
ある人の blog で、日にちをまたがって一つの話題について触れる際に、自分自身の blog への Trackback を利用しているのを見てちょっと感心して、僕も真似してみています。これまで、過去のものをいちいち修正 (して新しい記事へのリンクを作成) するのは面倒に感じてこれまで元の話題から新しい話題へのリンクは存在しない状態となっていたのですが、Trackback を飛ばすだけならば簡単ですしその話題をたどる際にもとても有用です。
個人的に Trackback という仕組みがどうも好きじゃなかったんですが、初めてちょっと便利かも、と思いました。ついでにどうして好きじゃなかったのかと言えば、誰かの意見に関連した意見を述べる、という典型的な場合にしても、単純にリンクしてあげれば良い場合も多いような気もするのです。先方のページを見ている人に自分のページも見せたい、といつも思うわけじゃないだろう、と。今巷で行われている trackback の例を見ても、単なるリンクで十分な場合は非常に多いでしょ。単なる感想を直接書き手に伝えたいだけならコメントを用いるべきだし。「先方のページを見ている人が、こちらのページを見ても有用だ」と思える場合にのみ trackback を用いるようにした方が、リンクの品質1、という意味でより良いのではないでしょうか。
昨日、テレビで放映したのであゆみさんと二人で夜更かしして見ました2。古いイタリアの映画なのですね。
貧しい父親が仕事を得るために苦労して自転車を買う。しかしその自転車を盗まれてしまって、息子と二人でひたすら自転車を探しに、というお話。映画の中の戦後のイタリアはとても貧しくて、日本もほんの何十年前かは同じような状況だったはずで、なんてことをいろいろ考えていました。
アマゾンの解説では「すべては衝撃のラストシーンの伏線」とかなんとか書いてありますがそんな大げさな映画ではなくて、貧しさへのやりきれなさ、父と子のつながり、といったことを考えさせられるような作品でした。息子のブルーノがとても可愛かった。
そういや昔ユニコーンに「自転車泥棒」という同名の曲があって最近どこかのバンドがコピーしてましたね〜なんて話は全く関係ナシ(笑。
「Cosmos」や「コンタクト」、また「核の冬」に関する研究などでも知られるカール・セーガン博士の本です。タイトルからすると、「なぜ騙されるのか」という点を科学的に分析している本と考える人もいるかもしれませんが、そうではなくて、この本は科学的思考法というものの啓蒙書といった趣の本です。単行本時のタイトルは「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」で、本書の内容的にはこちらのタイトルの方が良いような。
科学的な (本書の言葉を使えば「懐疑的な」) 見方をすればすぐに分かるようなエセ科学にどうして人は騙されてしまうのか、セーガン博士はもどかしいものを感じながら非常に多くの実例を引きつつ啓蒙していきます。この「非常に多くの実例」が圧巻で、僕は以前に読んだ「と学会」会長山本弘さんの「神は沈黙せず」を思い出しました。
そういえばこの本の中に出てくる「トンデモ話検出キット」って、ちょっと前に 2ch で流行っていた「詭弁のガイドライン」の元ネタなんじゃないかなぁ。アレよりは科学方面に寄っているけど (反証可能性とか)、重なる部分も多い。そういえばデマルコさんの「熊とワルツを」でも引用されていたクリフォード卿の「信仰の倫理 (信念の倫理、とも)」がこの本でも引用されていました。
前回読んだ「アンダーグラウンド」以降の村上春樹作品を読んでみたくて、この本にしました。「UFOが釧路に降りる」「アイロンのある風景」「神の子どもたちはみな踊る」「タイランド」「かえるくん、東京を救う」「蜂蜜パイ」6編を収録した短編集です。
短編集といっても完全に独立した作品というわけではなくて、全ての作品を「阪神大震災」という通奏低音が貫いています。といっても、確かに震災はそれぞれの物語にとって決定的な要素ではありつつ、しかし直接的には震災のことにふれられることはなく、そういう意味では別に震災でなくとも「地下鉄サリン事件」でも「湾岸戦争」でも何でも良かったのかもしれません<という風にとられてしまう危険性のある作品だと思いました1。
僕としては例えば「UFOが〜」に出てくる奥さんに家出されてしまう中身が空っぽの男の空虚さなどはよく分からないし、「アイロン〜」の最後に主人公がどうしてあのような行動をとってしまうのかも分からない。結局、村上さんの感性を理解できない、ってことなのでしょうか。「タイランド」や「かえるくん〜」、「蜂蜜パイ」は面白かった。
KDE、Opera でも使われているクロスプラットフォームな GUI ツールキット、QT はこれまで、Linux 版と Mac OS X 版が GPL と商用のデュアルライセンスで、なぜか Windows 版だけ商用版しかなかったのですが、次期 QT であるところの QT4 からは Windows 版もデュアルライセンスとなることが決まったようです。登場予定は今年の第2四半期とか。
これまでフリーのクロスプラットホームアプリを作るにあたっては wxWidgets1 などを使っていたのですけれども、よりメジャーな QT が使えるようになるのはうれしい限りです。
も、萌え〜。ただいまいそいそと情報収集中…。
昨日の N 響アワーは阪神淡路大震災 10 年目として演奏されたモーツァルトのレクイエムでした。それを聞いていて思ったんですが、このレクイエム、絶対どこかで歌ったことがあるはずなのに、どこで歌ったのかが思い出せないぃぃぃ。
いったいいつ歌ったんだっけ?
Debian sarge に今含まれている Thunderbird は 0.9 なんですけど、この Thunderbird がメール送信時に異常にメモリを食う。短いメールを送信しようとしただけでも、みるみるメモリを使いつぶしてドコドコ他のプロセスを swap out させてしまう。しょーがないのでメールを送信するたびに立ち上げ直しています。うーむ。
著名なセキュリティコンサルタントであるところのブルース・シュナイアーさんによると、もう頭で覚えられる程度の長さのパスワードでは安全性を確保することは出来ないので、覚えられないくらい長いパスワードを付け、それを紙に書いて財布に入れ、厳重に管理することをお勧めするのだそうな (どこで読んだんだっけ?)。常識とは変化するものなのだなぁとちょっと感心した。
とうとう終わってしまいました…。いや、しかし実に最終回らしい充実したお話でした。今年一年、本当に楽しませてもらいました。制作者の方々、キャストの皆さん、どうもお疲れさまでした&ありがとうございました!
おとといは有葉の8歳の誕生日で、本人の希望により夕飯を食べに近所の牛角に行きました。デカレンジャーの放送を見ている方はご存じだと思いますが、牛角はデカレンジャーをスポンサードしていて、お店でも子供にデカレンジャーカードを配ったりしていました。おととい行った時も、もうすぐデカレンジャーが終わってしまうこともあって、最後にまたカードがもらえたらいいなぁ、と思っていました。
しかし、席についてメニューを見るともうデカレンジャーとのタイアップメニューはなくなってしまっていて、お店の人に聞いてみたのですが「もう終わってしまった」とのお返事で、親子ともどもすごくがっかり。
ところがところが、一通りご飯を食べ終わってそれじゃそろそろ帰ろう、というころになって、店長らしきお兄さんが「デカレンジャーカードが欲しいというお話を聞いたのですが…」と席の方に来てくださって、まだ少し残っていたデカレンジャーカードと人形がおまけに付いたラムネを3人に一つづつくれたのでした!子供たちも大喜び!牛角さん、本当にどうもありがとう!
それにしても、このカードには「第一弾」と書いてあって、出てくるアリエナイザーも初期の頃に出てきたものばかりで、きっと景気が良ければ「第二弾」「第三弾」もあったのだろうと思うと、アメリカ牛肉輸入規制のあおりをもろに受けほんとうに大変な一年だったのだろうなぁ、と牛角さんに同情してしまいました。現在のメニューも以前のものと比べるととても寂しい限りなんですよね。豚や鳥を加えることで何とかバリエーションを持たせようとしてはいますが、肝心の牛肉のメニューがとても少なく、ロースやハラミすらないのです (タンとカルビ、後は内臓系しかありません)。たいへんなんだなぁ。
10月6日にリンク元表示を止めてからもう5ヶ月にもなりますが、未だに Yahoo! からの壁紙スパイラルが収まりません…。Yahoo! の検索情報ってこんなにも長い間更新されないものなのですね。困ったものです。